2012年07月09日

フと心の中に入りこむもの




人の心の中に湧き起こる連鎖は
その人のもっとも弱い部分、
一番デリケートで、柔い心のひだの側壁を
通ってゆく、、。



無意識の影のコンプレックスとは、
ある時、知らぬ間に
フと、心の奥のほうに入り込んでしまった
想念である。

嫌悪すべき、苦手な
不安な何ものかである。

本人以外の人にとっては
どうと云うこともない
些細なつっかかり、なのだが
無意識の深いところで
巣くったまま、なかなか
解決されない、、、、。

人の連想は、この負のコンプレックスの
暗い道筋を好んで通ってゆく、、、。



無意識にスッと
入り込んでしまうものとは、
本人にとっては思いがけない
「何気ない一言」と云うものである。

「えー、そうなんだー、いつも
 だるそうな声で返事するんで、
 疲れてるのかと思ったー、、」
とか、言われて


…えっ、いつも最高に元気な声で
返事してるのに、、、、。
と、いぶかしみながら
そんな風に、人には聞こえるのかな…と
突然、迷路に迷い込んだように
不安を覚えるのである。

この人が、性格が嫌味だから
そう捉えるんじゃないか、
あるいはわざと面と向かって悪口を
言っているだけなのかも、、、と思う反面、
この何とも判断しがたいモノが
ひっかかったまま、心の奥の水面から
やがて、ひらりと沈んで
内奥のそのまた底に潜ってゆくのである。


やがて、それは無意識の底に溜まる
他の欠片と重なって、しだいに重い
コンプレックスに変質してゆくのだが、
それよりさらに、ヒョイと
いきなり、無意識の深い底にすとんと
潜ってしまうのは、
気の置けない家族や親しい友人の
軽いひとり言のような「一言」である。

「なにっ、汚い足!、、なんか太ももから
 お尻も汚いー!!」

これはなかば、からかい。
しかし、何の意図もなく生の形で
放り出された無垢な言葉でもある。

汚いとは、何であろうか、、
とらえどころがない、思い切り広範な
形容である、

どのこと?
この変な筋みたいのかなとか、、
色々、考える、、、、

言われたその時は、笑って済ませても
あとあと、ずっと
何かの折に気になり、自分の足を
眺めることとなる。

あっという間に、底に潜り込んだ
想念なのだ。



このような「何気ない一言」の
コンプレックス化を防ぐ方法が
ひとつある、
ファンタジーとするコトである。




思春期にいたって、彼は
目がますます細くなる。
両親はそんなに細くないのに
なぜ、細い?!

小3の時に、何気なく
4歳上の姉から「なんでー、何でそんなに目が細くなったの?」
と言われて、
以来、意識の底の底に巣くったままであった。

彼は、コンプレックスの
情動的な鬱散から、
目のすぐ上を鉄棒にぶつけて
切る怪我さえしている。


「ゴキ ヒロシの呪い」、、、
なぜ、大きくなってますます
目が細くなったのかを、
こう物語化して伝える。

小学校低学年の時、
NHKの紅白歌合戦に出場した
五木ひろしを、
彼は「目、細い!ただの筋みたいだ!!」
と、大笑いした罰なのだと
ことの因果関係のあらましを
説明する。
〜当時、彼は五木ひろしをゴキヒロシと
よんでいた。


ファンタジーは、
姿の掴めない、ぼんやりした
無意識のコンプレックスを
さらに、訳のわからない
茫漠とした世界に連れ出す。

けれど、一点だけ
もしかしたら、、、と云う
ひっかかりを、作るため
絵空事にはならない、
コンプレックスの分断化が
行なわれ、
ますます細くなるのでは、、
と云う漠とした不安が、引き離される。


ファンタジーの効用とは
このようなモノである、
形のはっきりしない
心の奥深くに溜まった澱のような
コンプレックスやルサンティマンを
分節化し、因果の不明な不安や嫌悪感との
つながりを断線する。





願望、
願望は、この底におり溜まった
負の想念の帯の上にぽつりと発生し、
菌類のように、きのこのように
それこそ一夜のうちに
大きく膨らんでゆく。

願望は、その生まれ始めは
こんな具合で、
コンプレックスやルサンティマンの
培養で生まれるものなのだ、
銀貨の裏表のような関係である、と
よく言われるようなものなのである。

コンプレックスの裏返しを
強く望めば、望むほど
コンプレックスは、深く強力に
無意識の奥底にうがたれ、
願い、願うごとに
願望の膨らみにぶら下がる尻尾のようなものが
伸びてゆく、
たぐり寄せると、太く重い
鉄の鎖の束になって、
それが黒々した負の想念に累々と繋がっている。




願望を、願い事に
分離させるには、
もやもやしたカオス的な
あいまいな状態からひとつ
明確化することで、
鎖をひとつひとつ解いてゆくしかない。

明確化して整理して
要求を際立たせ、
ぽしゅうううんと
広大無辺な空間に、打ち上げてしまうしかない。

ポンッと
はじけて無方に散らばり
消え去ってしまう行方を
静かに眺めていれば良いのである。


彼方に消えた
忘れ去った夢となった願望は、
しかし、思い出しても思い出せない頃に
やがて現実となって
帰ってくるのである。、、、、


負の想念から
切り離され、無空に散じた
自在な心が、
応えて集ったいくつもの心を
連れ立って、
帰ってくるのだ、、、、、・





posted by 身体気法会 at 15:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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