2012年01月19日

お知らせ 〜身体ゆらり講座について

HPの更新が遅々として進まず、
どうにも間に合わないため、
このブログ欄を借りて、
告知することにしました。

季節は、また
かさついた日々が続いております。

先般の祝日に春めいた様相を見せたかと
思うと、ここ数日の
荒れた天気は、
心まで冷え冷えしてしまうようです。

先日の「春めかし」は、
けれど明らかに身体の裡側に
春の蠢動の着火点とは、なったのです。

今は、春の動きの中で
外気の厳しさに耐えるという
非常にアンバランスな
綱渡りを身体に強いているといえます。

脳の血行や
胸郭の痞えが表面化するのです。

のぼせた状態で
身体を縮めないといけないので
心理不安が過度となりやすいようです。


身体の春を、裡側から
少しだけ開放して
眉間を開き、胸の真ん中が開けゆくように
身体のゆらり、ゆらりとした
うねりに任せる
運動を行いたいと思います。

近々で申し訳ないのですが、
来る1月22日(日曜日)
下記、会館にて
「身体ゆらり講座〜活元運動の会」
を、開催いたします。


参加は自由ですので、
気楽にどうぞ、ご参加くださいませ。


『Vol.3 身体ゆらり講座〜活元運動の会』

開催日 … 2012年1月22日(日曜日)
          午後2:00より5:00頃まで
                                    

 全く初めての方も受け付けております。
 身体が動かせる楽な服装でお越し下さい。

 その他、不明な点については メール にてお問合せください。
             {s-kihou@ab.auone-net.jp}



 ◆場所  … 東京 中央区立産業会館 和室
       (〒103-0004 東京都中央区東日本橋2-22-4)
        TEL 東京03−3864−4666

        所在地案内
        http://www.chuo-sangyo.jp/access/access.html

 ◆時間  … 14:00より17:30頃まで

 ◆参加費 … ¥1,000



以上、お知らせでした。

posted by 身体気法会 at 15:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月08日

背く心

年をあらためると云うのは
日常の惰性にクサビをひとつ打って
ふっと集注を心に呼び起こすことで
うるうる涯てなく続きそうな
日々の生活に、
節目を与える素晴らしい発明であると
整体創始者、野口先生がかつて
語っている。

人は、年の変わらぬうちにと
せっせと身辺を整理し、たまった穢れを
ぬぐい、祓って
清々した心持ちで
新らたな年を迎えようと
するのである。


けれど、こうありたい
と、願う気持ちに
背く心が、必ず背後に
隠れひそんでいる。

かくあるべき、が強ければ強いほど
それとは反対の
行動や情動がむくむく動き出すのである。


多くの日常的な家族が
一年を通じても相当の長い時間を
久々に一緒に過ごすのであるから
そうそう、お互い気持ちの良いことばかり
起こる訳では無い、
とくに、頭にも身体にも
過剰な情報が押し寄せる現代にあっては、
人々の、耐性は萎えている。

さまざまな紛争が起こらざるを得ない
格好の状況がしつらえられている
のである。



このような
鬱積した情動の噴出口として
年の瀬や年始まりには
儀式が用意されている。

かつての世なら
寒夜に鐘が響き始めれば
普段とは違う、非日常の扉が開かれ
冷たい夜気も、家外にふたふた、
人連れが歩いて行く足音にも
まっさらで澄んだ
なみなみ溜まった瓶の水のような
静やかな心持ちが訪れたものだが、

今は、
このような細やかで密度の濃い
集注に、
身体が耐えられないのだろう。

年を経るごとに
にぎやかで喧しく
自分の情動を放出させる
カウントダウンやらの
発散型の行事が増えている。


それはそれで、
人々の身体の知恵と云うものでもあるけれど、
非日常の儀式性に
寄りかかることで、
鬱散を果たそうとする一群の人々は
鬱散そのものが目的であるため
極度に視野が狭い
儀式性に埋もれていってしまうのである。

そのため
「かくあるもの」が、「かくあるべき、」
「かくあらねばならぬ!」になり、
心をしばる枷カセの圧力が増して、
他者にまで、それを
強いるようになる。

その「かくある」べきから少しでも
はみ出す事や、脱するものがいれば
容赦はしないのである。


ここに「権力」と云うものが
発生する。
他者を、自分や型(法)によって
思い通りにしようという情動である。
「暴力」と云うものの、原初の
始まりがここにある。


元日に
奥さんや子供を殴ったり蹴りつけたりのDVが
多く、あちこちで発生した。

奥さんや子供の些細な
何らかの逸脱が、
目こぼしできなかったのだろう、

傍目からすれば
正月早々、元旦早々、仕様が無い悪たれだと
呆れるけれど、

問題なのは、
当の本人が暴力に、悪気が無いことである、
悪いのは逸脱した者のほうで
自分はそれを、断罪したのだと
どこかで思っている。

このような人々は
何かに寄りかからないかぎり
自分と云うものを
保てないのである。
不安定で脆弱な心を持っている。

絶対的で、個人の力では
どうにもならないような
象徴的な何か、
よりかかれば寄りかかるほど
噴出エネルギーが
圧縮され、暴力の影は大きく
膨らんでゆくのである。


このような寄りかかる人も
そこからはみ出してしまう人も
けれど、
その心は
良かれという事柄から
背こうとするのである。



「かくあらねばならぬ」のクサビが
自分自身に、深く
打ち込まれてしまうと、
自らを世界から抹殺しようと
鈍い漆黒の情動が、
発動する。

年の変わり目に
命を絶つ人たちが
続出したのも
「めでたさ」に
背かざるを得ない
薄暗い情動の蠢きウゴメキを
とどめることが出来ない
人の心の
「どうにもならなさ」
が、かかわっているのである。


めでたき事が
めでたいのは、
三分の荷を背負いながら
五分の何も無い「心の間マ」を
持てる人が
何も無いがゆえに甘受出来る
ゆらゆら逃げこぼれてしまう
綿毛のような
はかない光だからなのである。


心を整除し
まばらに黒々、固着した
鬱滞エネルギーの塊りを
解ホグしといて
空き容量を
増やしておくことが
年始まりの心得だといえる。



けれど、
この新たな年に
こうも背き、背かれた
人々が多発したのは、
また特別の事情があるに違いないのである。


2011年は
一年を通し、
から元気をあおるより
深く沈み、黙考し
「喪」の沸き立たない
暗い清明な
心を保つべきであった
といえる、、、、



posted by 身体気法会 at 18:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする