2011年06月06日

無用の用

人は歩く。

二足の下肢を使い、どう考えても重く大きく
なりすぎた頭を支えて、
巧みにこの重量を分散させながら、
歩く。

早足も小走りも、場合によっては横歩きも後ろ歩きも
スキップだって、難なくこなす。

このような歩行の
日常何気なく行っている動作の裏には、
常時、休むことなく無意識の裡に
調整、配分されている
錐体外路運動系の働きがある。

錐体路というものが、主に意識的に
動かせる神経路であるので、
本人が知らず知らずのうちに
身体の方で調整をとって、難なく無事に
運動が維持遂行されるように
調整を図っているのが錐体外路である。

随意運動を統御する錐体路が
脳から脊髄に伸びる神経路で
あるのに比べ、
錐体外路と呼ばれる経路が何処にあるのか
よく解っていない。

脳の広範囲に及んでいるようで、
何がどのように信号を送り、連絡しているのか
本当のところは
その詳細が不明なのである。

正体をつかめない、よく判らないものだから
錐体外路という云う呼び名はやめようと
云うのが、最近の傾向であるようだけれど、
それはやがて、補足的な運動系の働きだぐらいに
扱われて、
その存在に注目した当初のように
障害が現れたときのみ、
人々の意識に上るくらいになってしまうのであれば
私たちは実体の無い、
幻影みたいな存在になってしまう。

無意識のうちに
あらゆる動作や思考、発散や抑制、
生きてあることの
ほぼ8割くらいをつかさどっているのが
錐体外路とぼんやり呼び慣わしている
無意動作なのである。

無意動作。
ちなみに、
何処に重心がかかっているのか
感覚しながら、
歩いてみると、
これが、常に一定でなくて
実に自在に足の裏のわずかな領域で
あちこち重心移動していることに
ビックリするのである。

たとえば、
キーホルダーひとつを右手にぶら下げ持って
歩いたとしても、
重心は左足に移動する。

持ち替えれば
逆の足に移動するのである。

元気なとき、前向きな時はそうでも
草臥れてくると
今度は、同側に変わる。
右手に持てば、右足に重心が乗る。

さらに、へとへとで
気が進まぬとなると
両足のかかと部分に重心は後退するのである。

当人はまったく
気が付かぬうちに
精妙な微調整が、途切れぬこと無く
常に影のように付き従い、あるいは先導して
あらゆる動きの過不足を
補っている。

意識のあまりに
おおざっぱな指令を
どんな状況下であろうが
完全を目指して、
補足し手当てする、
無意の意思によって
誰にも知られず、
無用のものと思われていても、
黙々と
静かに涼やかに
目的を成し遂げるのである。

無用の用。

目に見えるもの、
形に表れるもの、
結果が出るもの、
量的に増加するもの、減退するもの、
有用のものをしか
感覚しない感受性の持ち主は
このような
無用の働きに心が至らない。

無意味とされるもの、
無用と捨て置かれるものの
たたずまいに
意味を見出せない現代において
けれど今、
象徴的に陰ながらの
こつこつとした作業を日々続ける
身体がある。

私たちの
今の、まさに今の
身体が行なっている
未曾有の事態への、
環境への実に的確な
対応を言うのである。


実に神妙に精妙に
調律されるものは
何であろう。
何処を目指して動いてゆくのであろうか…
posted by 身体気法会 at 19:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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